中国ドラマ『三国志』(三国演義)

制作:中国中央電視台


NHK衛星第2 金曜 午後 4:00−5:30 再放送中(2000年5月より)

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【解説】
 中国ドラマ『三国志』は、羅貫中が著したとされる明代の小説『三国志演義』を忠実に(でもないところもありますが)映像化した作品です。ハリウッドなら特撮やCGですますところ、ローテクを物量と人海で補ったすさまじいつくり。基本的に『三国志演義』を知っている人を対象につくられている(らしい)ので、初心者が三国志を知るために見るよりマニアがうなずきながら見るのがよいでしょう。
 このページではNHK衛星第2放送で二度にわたって放映された日本語吹替版をもとに構成しています。

日本語の『三国志』関連ページへのリンク

曹叡役石田圭祐さんご本人によるKappa & KeroKero Home Page

【日本語版】

日本語版台本:銀華 
 伊原奈津子[#1,#6,#7,#25,#26,#39,#40,#74,#77,#78,#83],久保喜昭[#4,#5,#8-#10,#14,#15,#20,#21,#33,#34,#41,#42,#45,#46,#49,#50,#55,#61,#62,#67-#70,#75,#76,#81,#82],中村久世[#2,#3,#12,#13,#18,#19,#22,#27,#28,#31,#32,#35,#36,#43,#44,#47,#51,#52,#57,#58,#63,#64,#71-#73,#79,#80],水谷美津夫[#16,#17,#23,#24,#29,#30,#37,#38,#53,#54,#56,#59,#60,#65,#66]
日本語版スタッフ:蝦名恭範[#1-#8,#17-#34,#36-#47,#49-#83] 遠藤尭雄 村仲康太郎[#1-#47],増田徳樹[#49-#83]  福永莞爾[#1-#8,#19,#22,#25,#28,#31,#34,#37,#40,#41,#44,#47,#50,#51,#53,#54,#56,#57,#59-#64,#66-#69,#71,#72,#74,#77,#75,#78,#80,#81,#83],小山悟[#9,#10,#12-#18,#20,#21,#23,#24,#26,#27,#29,#30,#32,#33,#35,#36,#38,#39,#42,#43,#45,#46,#49,#52,#55,#58,#65,#70,#73,#76,#79,#82]

【サブタイトル一覧】

第一回   桃園の誓い           1995/04/03
第二回   十常侍、政を乱す        1995/04/04
第三回   董卓、権勢を振るう       1995/04/05
第四回   曹操、宝刀を献ずる       1995/04/06
第五回   三英雄、呂布と戦う       1995/04/11
第六回   連環の計            1995/04/12
第七回   董卓、鳳儀亭に死す       1995/04/13
第八回   三度 徐州を譲る         1995/04/14
第九回   孫策、玉璽を手放す       1995/04/17
第十回   轅門にて戟を射る        1995/04/18
第一一回  苑城の戦い           1995/04/19
第一二回  白門楼(前編)          1995/05/01
第一三回  白門楼(後編)          1995/05/02
第一四回  酒を煮て英雄を論じる      1995/05/03
第一五回  袁と曹、起兵する        1995/05/04
第一六回  関羽、曹操に下る        1995/05/05
第一七回  印を掛け 金を封じる       
第一八回  名馬、千里を走る        
第一九回  古城での再会          
第二十回  孫権、江東を領する       
第二一回  官渡の戦い(前編)        1995/05/29
第二二回  官渡の戦い(後編)        1995/05/30
第二三回  袁一族、大敗する        1995/05/31

〔第二部 赤壁の激戦〕
第二四回  劉備、荊州に入る        1995/06/01
第二五回  劉備、軍師を求める       1995/06/02
第二六回  徐庶、孔明を薦める       1995/06/05
第二七回  三顧の礼            1995/06/06
第二八回  孔明、最初の勝利        1995/06/07
第二九回  民を救い河を渡る        1995/06/08
第三十回  孔明、江東で舌戦する      1995/06/12
第三一回  孔明、周瑜を激怒させる     1995/06/13
第三二回  周瑜、計を用いるも成らず    1995/06/14
第三三回  江東の“群英会”        1995/06/15
第三四回  草船で矢を借りる        1995/06/16
第三五回  周瑜、苦肉の策         1995/06/19
第三六回  ほう統、連環の計を献ず     1995/06/20
第三七回  曹操、詩を吟ずる        1995/06/21
第三八回  孔明、風を祭る         1995/06/22
第三九回  赤壁にて曹操大敗す       1995/06/23
第四十回  劉備、南郡を取る        
第四一回  劉備、老將を得る        
第四二回  色仕掛け            
第四三回  劉備、孫夫人をめとる      
第四四回  劉備、荊州に帰る        
第四五回  周瑜、三度怒る         
第四六回  周瑜の死            
第四七回  曹操、馬超を破る        

〔第三部 三国鼎立〕
第四八回  張松、地図を献ずる       
第四九回  劉備、西川に入る        
第五十回  ほう統、落鳳坡に死す      1995/07/24
第五一回  張飛、一番手柄を立てる     1995/07/25
第五二回  劉備、益州を領する       1995/07/26
第五三回  刀ひとつで会に赴く       1995/07/27
第五四回  合肥での戦い          1995/07/28
第五五回  魏の世継ぎ争い         1995/07/31
第五六回  定軍山での戦い         1995/08/01
第五七回  劉備、漢中を得る        1995/08/02
第五八回  水を放ち七軍をおぼらす     1995/08/03
第五九回  関羽、麦城へ走る        1995/08/04
第六十回  曹操の死            1995/08/10
第六一回  曹丕、帝位を奪う        1995/08/11
第六二回  劉備、仇討ちに出兵する     1995/08/14
第六三回  劉備、陣を焼かれる       1995/08/15
第六四回  劉備、白帝城に死す       1995/08/16

〔第四部 南征北伐〕
第六五回  孔明の南征           1995/08/17
第六六回  孟獲の反乱           1995/08/18
第六七回  孟獲、七度虜となる       1995/08/21
第六八回  孔明、魏に出兵する       1995/08/22
第六九回  姜維、孔明に降る        1995/08/23
第七十回  司馬一族、再び立つ       1995/08/24
第七一回  泣いて馬謖を斬る        1995/08/29
第七二回  司馬懿、大都督に登る      1995/08/25
第七三回  き山での智の攻防        1995/08/28
第七四回  孔明、神を装う         1995/08/30
第七五回  六度き山に出兵す        1995/08/31
第七六回  姜維、兵法を授かる       1995/09/04
第七七回  死せる孔明、生ける仲達を走らす 1995/09/05

〔第五部 三分一つに帰す〕
第七八回  司馬懿、病と偽る        1995/09/06
第七九回  呉の内乱            1995/09/08
第八十回  姜維、中原征伐に出る      1995/09/25
第八一回  司馬昭、魏帝を廃す       1995/09/26
第八二回  九度目の中原討伐        1995/09/27
第八三回  魏、蜀を滅ぼす         1995/09/28
第八四回  三国、晋に帰す       1995/09/29

〔第一部 群雄の天下争い〕


第一回 桃園の誓い

1995/04/03,1995/10/02

“昔から、天下の大勢は長く分かれていれば必ず一つになり、長く一つでいれば必ず分かれるという。春秋時代には五つの勢力が覇を競い、戦国時代には七つの国が並立して五百年にもわたる戦乱を繰り広げたが、最終的に秦に統一された。秦が滅びた後、楚と漢の間に争いが起きたが、やがて漢によって統一された。時は後漢、しょうわ二年、わずか十歳で即位した和帝は宦官の勢力を利用してとう大后とその兄である大将軍とうけんらを一挙に倒し、宦官への朝廷への直接参与を認めた。これが、後漢末期の宦官による政治干渉のはじまりである。その後、数十年にわたって宦官は権力を欲しいままにし、争いは日々激しくなった。しょう帝・安帝・順帝・衝帝・質帝・桓帝・霊帝と、皇帝は次々に代わり、その力は急速に衰えていった。また、地方の豪族は人々から重税を取り立て、土地を横領していた。そのうえ、何年も災害が続いたので、住民はみな飢え、死の瀬戸際にあった。役人らの厳しい取り立てに不満を募らせた民衆は、すぐに決起した。ほうわ七年の正月、飢えにあえぐ何千何万もの人々が正義の旗を掲げて立ち上がり、黄巾軍が蜂起したのである。黄巾軍は官庁を焼き官吏を殺し城を次々と占領した。戦火はわずか十日で国中に広がり、官軍はもはやただただ逃げ回るしかなかった…”

劉備  関羽  張飛  董卓 何進 
督郵(塩屋浩三) (林一夫) 県吏(落合弘治) (宝亀克寿[1,2,5,9]) (鈴木勝美[1,14]) (小形満[1,15,21,22,52]) 領民(田口昂) 表札を読む男(松本大[1-8,19,22,25,28,31,33,34,35,38,39,46]) (麻生智久[1-8,15,19,22,23,25,28,31,34,37,38,40,41,43,44])
ナレーター 

第二回 十常侍、政を乱す

1995/04/04,1995/10/03

曹操  袁紹 何進 董卓 
董大后 何皇后 劉協(亀井芳子) 少帝(阪口大助[2,3]) 張譲(緒方賢一) 丁原(仲木隆司) 廬植 (麻生智久) 蹇碩(伊藤和晃) 段珪(長島雄一) 何進の部下(宝亀克寿) (石井隆夫[2,4-8,19,22,25,28,31,33,34,37,39,43]) (辻親八[2,13,73,74,80]) 何進暗殺を提案した、十常侍の一人(梅津秀行) 鄭泰(岩田安生) 兵士(松本大) 弁皇子(喜田あゆみ[※現・喜田あゆ美]) (栗山微笑子)
台詞なし:王允 李儒 李粛 

第三回 董卓、権勢を振るう

1995/04/05,1995/10/04

曹操  董卓 袁紹 呂布 
李儒 李粛 王允 丁原 廬植 (福田信昭[3,5,40,44]) 伍孚(稲葉実) 津田英三[3,35,38,53,63] 何皇后 少帝 (麻生智久) 兵士(松本大

第四回 曹操、宝刀を献ずる

1995/04/06,1995/10/06

曹操  董卓 呂布 王允 
李儒 陳宮 (松岡文雄[4,8,15]) (佐藤ユリ) 曹操に馬に乗せてもらった子供,呂伯奢の家の子供(大谷育江) (麻生智久) (松本大) (田村勝彦) (新山志保) (石井隆夫

第五回 三英雄、呂布と戦う

1995/04/11,1995/10/09

“故郷に逃れた曹操は、董卓討伐の檄文を発した。天下の諸侯は直ちに呼応し、初平元年正月、十八の軍勢が袁紹を盟主として結集し、漢再興のためここに兵を起こした…”

劉備  関羽  張飛  曹操  董卓 袁紹 呂布 
阪口大助) 李儒 李粛 孫堅 袁術 公孫さん(水鳥鉄夫) 華雄(村松康雄) 黄蓋 (福田信昭) (村田則男[5,53,58,59]) (城山堅[5,31,49,58,62-64]) 祖茂(松本大) 袁術の部下(田原アルノ) (石井隆夫) (麻生智久) 侍女(菊池いづみ) 侍女(波岡晶子)
韓ふく(<宝亀克寿>)

ナレーター 

第六回 連環の計

1995/04/12,1995/10/10

“関東の袁紹、兵を起こし群凶を討つ。だが、一度は結束した諸侯の心にも分裂が起きた。はじめは同志であった者たちも、今や敵対し殺し合うようになってしまった。袁術は淮南にあって皇帝を名乗り、袁紹と争い数多くの犠牲者を出した。草原は死骸で埋め尽くされ鳥も鳴かず、残された諸侯たちは呆れてそれぞれの故郷へ帰ってしまった。”

曹操  董卓 袁紹 貂蝉 呂布 王允 
程普水鳥鉄夫) 孫堅 (麻生智久) 使者(松本大) (石井隆夫) (浅田葉子) (内藤三絵) (山口由里子
ナレーター 

第七回 董卓、鳳儀亭に死す

1995/04/13,1995/10/11

 王允の命で貂蝉が仕掛けた「連環の計」に踊らされ、董卓と呂布は反目を募らせる。皇帝の位を譲るとの知らせを受け、受禅台に向かう董卓の運命や如何に…?

董卓 呂布 貂蝉 王允 李儒 李粛 
(南杏子)  (武政弘子) (石井隆夫) (松本大) (麻生智久) (篠原あけみ) (川上ともこ)  (本井英美)

第八回 三度 徐州を譲る

1995/04/14,1995/10/16

“董卓追討に失敗した曹操であるが、兵を率いて山東に新たな基盤を得た。そこで、琅邪郡に避難していた父親たちを晴れて山東に迎えることにした。父親たちが徐州まで来ると、徐州の長官陶謙は曹操とよしみを通じたいと部下に護衛を命じた。ところが、部下の張がいは一行の持ち物を奪い父親たちを皆殺しにしてしまったのである。これを知った曹操は激怒し、徐州攻撃を命じた…”

劉備  関羽  張飛  曹操  呂布 陶謙 陳宮 
糜竺(塚田正昭) (松岡文雄) 荀ケ  郭嘉  陳登 曹仁  夏侯惇  (星野充昭) 張がい(松本大) (麻生智久) (西宏子) (石井隆夫) 
ナレーター 

第九回 孫策、玉璽を手放す

1995/04/17,1995/10/17

“山東で曹操と呂布が戦いを繰り広げたころ、江東では孫堅の死後あとを継いだ孫策が、多くの賢者や豪傑たちと交わり徐々に頭角を現していた。孫策は、母たちを曲阿に住まわせ、自らは袁術の命に従い廬口へと攻め込んだ。”

袁術 孫策 周瑜 
太史慈(西村知道) 程普  黄蓋 張昭  使者(高宮俊介) 周泰(掛川裕彦) (成田剣) (坂口賢一) 
劉[瑶-王系](<糸博>)
ナレーター 

第十回 轅門にて戟を射る

1995/04/18,1995/10/18

“孫策は幾多の戦を経て江東の六郡八十四州を手中に収めた。曹操は漢の献帝を迎え都を許昌に移し大将武平侯と称して権力を掌握、天子の名の下諸侯に号令を発したのであった。”


劉備  関羽  張飛  曹操  呂布 袁術 孫乾 
荀ケ  陳登 曹豹(峰恵研) 陳宮 許[衣者]  韓胤(伊藤和晃[10,13,14,16,30]) 紀霊(辻つとむ) 
ナレーター 

第十一回 苑城の戦い

1995/04/19,1995/10/19


第十二回 白門楼(前編)

1995/05/01,1995/10/20

“曹操の大軍は一ヶ月余りの苦しい戦いを経て、ついに寿春を攻め落とし袁術を破ることができた。一方、張繍は劉表と手を組み、曹操が許都を離れている隙に中原に進出した。曹操は大軍を引き連れて許都へ急ぎ戻った。建安三年、西暦一九八年、曹操は三度も張繍討伐に出た。
 曹操は、ふたたび張繍に勝ったものの、典韋を思い出し、王こうを思い出すと気が重かった。曹操は沈み込み、次の策をどう打つべきか迷っていた。”


劉備  関羽  張飛  呂布 陳珪 孫乾 
陳登 陳宮 糜竺  郭嘉  (岸野幸正) 張遼  夏侯惇(江川央生) 呂布の妻(渡辺美佐) 辻つとむ
曹操 
ナレーター 

第十三回 白門楼(後編)

1995/05/02,1995/10/23

“戦国の世の情勢は変わりやすく、呂布は曹操・劉備に攻められる身となった。さらに、呂布の幕僚陳登が曹操に寝返り、巧みなはかりごとを用いたため、呂布は簫関・徐州・小沛を次々に失う。行き場のなくなった呂布は、仕方なく陳宮を従えて下ひ城へと退く。

 曹操は明け方から攻撃を開始、正午に至って呂布側は多くの戦死者を出した。曹操が兵を引き揚げた後には、呂布の兵の屍が無数に横たわっていた。

 建安三年、西暦一九八年、この都市の冬、曹操は願い通りに心中の患いとしていた呂布を殺し、勇将張遼を配下に加え、さらに車騎将軍である車冑を呂布亡き後の徐州に駐屯させ、しばらく治めるよう命じた。このようにして、曹操の勢力と名声とは次第に他を圧していったのである。”


劉備  関羽  曹操  呂布 陳宮 荀ケ 
筍攸  郭嘉  張遼  許[シ巳](有本欽隆) 宋憲(大滝進矢) 王楷(伊藤和晃) 呂布の妻 魏続(辻つとむ) 侯成(辻親八) 呂布の娘(森沢芙美) 
ナレーター 

第十四回 酒を煮て英雄を論じる

1995/05/03,1995/10/24

“天安三年、西暦一九八年、曹操は劉備の協力を得て徐州から下ひへと侵攻を続けた。そして遂に、下ひ城白門楼にて呂布を処刑し、新たに張遼を配下に加えた。こうして曹操の憂いがまた一つ消えたのであった。”

劉備  関羽  張飛  曹操  董承 献帝 
筍攸  郭嘉  許[衣者]  王子服(伊藤和晃) 宗正卿[系図を読む人](鈴木勝美) 伏皇后(佐藤しのぶ) 伏完(立木文彦
ナレーター 

第十五回 袁と曹、起兵する

1995/05/04,1995/10/30

 袁術を討つため都を出た劉備は、曹操から抹殺の命を受けた車冑を逆撃してこれを討ち、徐州を手に入れる。孤立を恐れた劉備は陳登の言を容れ、袁紹へ援軍を頼む。幕僚どうしの意見が対立し方針を決めかねた袁紹であったがついに起兵し、曹操も挙兵する。二正面作戦を回避しようと図る曹操の命を受けた劉岱と王忠は、劉備軍の動きを封じるため曹操の旗を掲げて徐州へ向かった。

劉備  関羽  張飛  曹操  袁紹 荀ケ 
松岡文雄) 陳登 田豊 郭図 沮授(幹本雄之) (中村秀利[15,21,22,67,81]) 許攸(喜多川拓郎) 車冑(島香裕) 劉岱(稲葉実) (山下啓介) 陳琳(麻生智久) 檄文を読む従者(小形満
「張遼将軍の配下」(<幹本雄之>)

第十六回 関羽、曹操に下る

1995/05/05,1995/10/31

“関羽が王忠を生け捕ったのを見て、張飛は劉岱軍に夜襲をかけた。しかし、劉備は曹操の仕返しを恐れ、劉岱・王忠の二人を手厚くもてなし、許都に帰した。さらに、甘・糜、二人の夫人を下ひに移し、関羽に守りを固めさせ、自らは張飛とともに小沛にとどまり、挟み撃ちの形をとって曹操への備えとした。”

『演義』第二十三回〜第二十五回


劉備  関羽  張飛  曹操 
袁紹 董承 孫乾  石井敏郎 郭嘉  田豊 張遼  王子服 献帝 辻つとむ) 吉平(平田広明) 甘夫人 糜夫人 
董貴妃(<滝沢久美子>) 兵士(<家中宏>)
ナレーター 

第十七回 印を掛け金を封じる

,1995/11/02

“禿山において曹操と三つの約束をおこなった関羽は、劉備の安否を気遣いながら、そして劉備の甘・糜二人の夫人を守りながら、曹操に伴い許都に向かった。
 一方劉備は、小沛・徐州・下ひを相次いで失い、袁紹のもとに身を寄せた。また張飛は、敵の包囲陣を突破し芒とう山に向かっていた。”

『演義』第二十五回〜第二十七回


劉備  関羽  曹操  袁紹 張遼  程c  田豊 
沮授 宋憲 文醜(曽我部和恭) 従者(田口昂) 甘夫人 糜夫人 魏続 水野龍司) (北川勝博[17,20,28,29,33,35,37,38,39,40,41,44,45]) (宇垣秀成
陳震(<曽我部和恭>)
ナレーター 

第十八回 名馬、千里を走る

,1995/11/06

 曹操に別れを告げられぬまま許都を後にした関羽は、劉備の二夫人とわずかな供を連れ、華北の劉備のもとへ急ぎ向かった。だが手形を持たずに敵方の袁紹のもとへ向かう関羽の前に、関所を守る将軍が次々と立ちふさがるのだった。

『演義』第二十七回


※『演義』原典では、胡班は殺されずに関羽に仕えている。
関羽  曹操 
張遼  許[衣者]  廖化(中田和宏) 甘夫人 胡華(沢りつお) 孔秀(笹岡繁蔵) 韓福(成田剣) 卞喜(田原アルノ) 普浄(上田敏也) 王植(千田光男) 胡班(島田敏) 劉延(辻つとむ
秦h(<水野龍司>)

第十九回 古城での再会

,1995/11/27

 五つの関を突破して華北に急ぐ関羽一行。しかし目前に現れた孫乾によれば、劉備はすでに袁紹のもとにはおらず、汝南に向かっているとのことであった。汝南に向かって数日、近くの古城に張飛が居着いていると聞いた関羽はそっそく向かったが…。

『演義』第二十七回〜第二十八回


劉備  関羽  張飛  袁紹 孫乾  趙雲 
甘夫人 糜夫人 張遼  夏侯惇  糜竺  郭図 (円谷文彦[19,28,29,30,46]) (梁田清之) (増谷康紀) 関平(関俊彦) 関寧(石野竜三) (石井隆夫) (麻生智久) 使者(松本大) 

第二十回 孫権、江東を領する

,1995/11/28

 父孫堅の後を継いで江東に確固たる勢力を築いた孫策は、「小覇王」と称された。だが刺客に襲われて重傷を負い、絶対安静を指示されて鬱々たる日々を過ごしていた。

『演義』第二十九回


孫策 張昭  呉太夫人 許貢 黄蓋 于吉 
許貢を殺した武将(曽我部和恭) 許貢の食客(茶風林) 張紘の使者(広瀬正志) 医師[華陀の弟子](鈴木清信) 孫権(鳥海勝美) 大喬(相沢恵子) (北川勝博) 孫策の部下(相沢正輝) 
太史慈[※台詞なし]
ナレーター 

第二一回 官渡の戦い(前編)

1995/05/29,1995/11/29

“建安四年、西暦一九九年、孫策はこの世を去り、弟孫権が江東を継いだ。孫権は北方を押さえる曹操との関係を重視し、ともに曹操を倒そうと袁紹が求めていた同盟の誘いには応じなかった。
 翌建安五年、西暦二〇〇年、袁紹は七〇万の大軍を率いて曹操討伐の兵を起こした。これが歴史上名高い官渡の戦いの始まりである。”

『演義』第三十回


曹操  袁紹 郭嘉  張遼 
荀ケ  筍攸  審配(清川元夢) 劉曄(田中亮一) 沮授 許攸 中村秀利[15,21,22,67,81] 李典(古田信幸) 徐晃  許[衣者]  使者(小形満) 張[合β]  兵士(中博史) 
韓猛(<水野龍司>) 使者(<糸博>)
ナレーター 

第二二回 官渡の戦い(後編)

1995/05/30,1995/11/30

 審配の讒言によって袁紹から疎まれた許攸は、袁紹を見限り旧知の曹操の陣に駆け込んだ。許攸は曹操に、烏巣を襲い袁軍の兵糧を奪うよう進言した。曹軍は兵力において劣勢かつ兵糧も尽きており、後がない曹操は諸将の反対を退け自ら烏巣へ向かった。

『演義』第三十回〜第三十一回


曹操  袁紹 袁譚 郭嘉  許攸 許[衣者]  郭図 張遼 
星野充昭) (中村秀利[15,21,22,67,81]) 張[合β]  高覧(小形満) 夏侯淵(立木文彦) 夏侯惇  田豊 沮授 (石井隆夫) (麻生智久) 密告者(松本大) 老人(糸博) 老人(田口昂) (滝雅也) 

第二三回 袁一族、大敗する

1995/05/31,1995/12/04

“建安七年、西暦二〇二年、曹操は再び大軍を率いて袁紹を攻撃した。戦いに敗れた袁紹は病に倒れ、五月に死んだ。死に際に長男の袁譚を退け三男の袁尚を後継ぎとした。このため、兄弟の間で争いが起こった。実権を握った袁尚に追い出された袁譚は辛[田比]を遣わし、曹操に降伏を申し出た。

 曹操が冀州を破った後も、袁氏兄弟はなおも互いに攻め合い、仕方なく袁尚は幽州の袁熙の元に身を寄せた。一方、袁譚は自陣を立て直し冀州奪還を図った。これに激怒した曹操は、袁譚を征伐した。袁譚は再び曹操に降伏したが聞き入れられず、その陣内で殺された。その後間もなく曹操は北上し、幽州・へい州を平定、さらに西の烏丸を攻め、袁尚・袁熙を討ち、北方平定の最後の一戦にすべく進軍した。

 曹操は白狼山で袁尚と袁きの軍に対峙した。彼らが五万の騎兵を率いてきたのを曹操は奇襲で迎え、撃ち殺した。袁尚と袁熙は数千の騎兵を率いて遼東へと落ち延びた。曹操は易州に戻ったが、その数日前に郭嘉は死んでいた。享年三十八歳、戦陣に従うこと十一年の人生であった。”

『演義』第三十二回〜第三十三回


曹操  郭嘉  許攸 袁譚 張遼  許[衣者]  程c
審配 辛[田比](宮本充) 劉曄  夏侯惇  徐晃  審栄(石波義人) 陳琳 曹丕(桜井敏治) (要田禎子) (松岡恵美子)
曹洪(<星野充昭>) 
ナレーター 

〔第二部 赤壁の激戦〕


第二四回 劉備、荊州に入る

1995/06/01,1995/12/05

“北方を平定した曹操は、その業績の記念として [シ章]河のほとりに銅雀台を築き始めた。さらに曹操は許都に兵を屯田させ兵力の増強を図り、時期を待って南下し、まずは荊州を落とし、東呉を手中に収めようとしていた。
 一方、汝南で曹操に敗れた劉備は、荊州の劉表に身を寄せた。曹操の北征によって許都が手薄なため、劉備は許都を攻めるよう進言したが、劉表はこれを無視した。建安十二年、西暦二〇七年春、劉表配下の張武・陳孫が、江夏にて謀反を起こした。そこで劉備は関羽・張飛・趙雲らを率いて出兵し、これを鎮圧した。”

『演義』第三十四回〜第三十五回


劉備  関羽  張飛  劉表 司馬徽 蔡瑁 
劉j(近藤高子) 伊籍  孫乾  [萠刀]越 趙雲  辻つとむ) 牧童(遠藤勝代) (渋谷茂[24,27,30,34,47]) (柳沢栄治[24,27,34])
ナレーター 

第二五回 劉備、軍師を求める

1995/06/02,1995/12/06

“趙雲は、劉備の姿を求めてじょうよう一帯を捜した。だが、見つからないので檀渓までやってきた。そこで蹄の跡を見て、劉備は新野に帰ったのだろうと思った。しかし、劉備が新野に戻っていないことを知り、趙雲は再び檀渓の西岸を探し回り、やっと水鏡宅で劉備との再会を果たしたのだった。そして、二人は新野への帰途、ある人物と会った。”

『演義』第三十五回〜第三十六回


劉備  関羽  張飛  曹操  司馬徽 徐庶 趙雲 
程c  孫乾  徐庶の母(竹口安芸子) 曹仁  李典  (麻生智久) (石井隆夫) 使者(松本大) 侍女(浅田葉子)
ナレーター 

第二六回 徐庶、孔明を薦める

1995/06/05,1995/12/11

 程cの策略により許都にいる母の元へ旅立つ徐庶は、「臥竜」こと孔明を薦めて去っていった。徐庶の活躍で軍師の必要性を痛感した劉備は、軍師を得るべく関羽・張飛を連れて孔明宅を訪れる。

『演義』第三十六回〜第三十七回


劉備  関羽  張飛  司馬徽 徐庶 趙雲 
徐庶の母 諸葛均 崔州平(大塚芳忠) 童子(鳥海勝美) 農夫(島香裕) 石広元(水野龍司) 孟公威(仲野裕) (中村雄一) (岡田吉弘[※現・緒方愛香][26,39]) 

第二七回 三顧の礼

1995/06/06,1995/12/12

“時に孔明二七歳。劉備の三顧の恩に報いるため、主人を助けて二七年間、国のために死ぬまで力を尽くすのであった。”
“孫策の死後、孫権は父・兄の偉業を継ぎ、江東の守りを固め人材を集めていた。一方、曹操は江東を押さえるため孫権に子供を人質として朝廷に差し出すよう命じていたが、孫権がこれを拒んだため、曹操はこの時から長江以南をとる策を練っていた。建安一三年、西暦二〇八年の春、孫権は母の呉太夫人の遺言に従って父孫権の敵を討とうと、兵士を率いて劉表の配下である黄祖を討ち、柴桑に兵を置き、荊州襄陽の地を奪おうと企んでいた。”

『演義』第三十七回〜第三十九回


劉備  諸葛亮  関羽  張飛 
曹操  諸葛均 黄承彦(加藤精三) 荀ケ  徐庶 夏侯惇  渋谷茂[24,27,30,34,47] 柳沢栄治[24,27,34]
童子(鳥海勝美[※非クレジット]) 
台詞なし:孫権  黄蓋 周瑜 
ナレーター 

第二八回 孔明、最初の勝利

1995/06/07,1995/12/14

 念願の軍師をついに得た劉備陣営。だが新野の地には夏侯惇率いる曹操軍十万が迫り、新参の諸葛亮が大権を預かることに古参の武将は反感を募らせていた。劉備は全軍に命令を徹底させるため、諸葛亮に自らの剣と印を貸しあたえる。不満げな関羽・張飛もお手並み拝見と命に従い、劉備軍は曹操軍を迎撃に向かった。

『演義』第三十九回〜第四十一回


劉備  諸葛亮  関羽  張飛  趙雲  劉表 蔡瑁 [萠刀]越 
麻生智久) 夏侯惇  劉j 伊籍  孫乾  曹仁  (円谷文彦) 李典  (落合弘治) 先導官,李珪(岩田安生) (北川勝博) (石井隆夫) 韓浩(松本大) 
前哨の者(<古田信幸[※クレジットでは石田信幸]>)
ナレーター 

第二九回 民を救い河を渡る

1995/06/08,1995/12/15

“諸葛亮孔明は劉備の軍師となり、博望坡で夏侯惇を焼き討ち、最初の勝利を得た。それに激怒した曹操は、曹仁に新野城を攻めさせたが、またも諸葛亮の策略に阻まれ曹仁は命辛々逃げ延びた。”

『演義』第四十一回


劉備  諸葛亮  関羽  張飛  曹操  趙雲  徐庶 蔡瑁 
孫乾  筍攸  (円谷文彦) 糜芳(高宮俊介) 劉曄  甘夫人 糜夫人 劉j 曹仁  辻つとむ) (北川勝博) 
老人(<石森達幸>)
ナレーター 

第三十回 孔明、江東で舌戦する

1995/06/12,1995/12/18

“建安一三年、西暦二〇八年、劉備は長江を渡り、江夏の劉gのもとへ身を寄せ孔明たちと合流した。一方曹操は、八三万の大軍を率い長江北岸に赴き、江東六郡を虎視眈々と狙っていた。”

『演義』第四十一回〜第四十三回


劉備  諸葛亮  張飛  孫権 
趙雲  甘夫人 厳しゅん(石森達幸) 薛綜(塚田正昭) (円谷文彦) 曹仁  辻つとむ 魯粛  張昭  歩しつ(伊藤和晃) 黄蓋 渋谷茂[24,27,30,34,47]
曹操
曹洪(<宝亀克寿>) 陸績(<岸野幸正>)
ナレーター 

第三一回 孔明、周瑜を激怒させる

1995/06/13,1995/12/19

“孔明は東呉の孫権と結び曹操に対抗しようと、巧みに策を練った。銅雀台に詠われた二喬の意味をすり替え、周瑜を怒らせることにより曹操との決戦に踏み切るよう仕向けたのである。”

『演義』第四十三回〜第四十四回


諸葛亮  孫権  周瑜  小喬  呉国太  魯粛  張昭 
城山堅) 程普  黄蓋 諸葛瑾  (石井隆夫) 侍女(山口由里子) (麻生智久) (松本大

ナレーター 

第三二回 周瑜、計を用いるも成らず

1995/06/14,1995/12/20

“孔明は、曹操と戦うため孫権と手を組むべく、単身東呉に乗り込んだ。戦いか降伏か心を決めかねていた孫権を、孔明は何とかして決心させようとする。しかし、曹操の百万の大軍を前に臣下の意見は割れ、孫権も迷いに迷う。そこで孫権は周瑜を呼び戻し、最後の決断をすることにした。”

『演義』第四十四回〜第四十五回


劉備  諸葛亮  関羽  張飛  孫権  周瑜  魯粛 
趙雲  張昭  糜竺  程普  黄蓋 諸葛瑾  程咨(相沢正輝
ナレーター 

第三三回 江東の“群英会”

1995/06/15,1995/12/22

 緒戦に敗れた曹操は、周瑜の幼なじみ蒋幹の言を容れ、周瑜を寝返らせるべく蒋幹を呉陣営に送り込んだ。周瑜はその意図を見破り、敢えて蒋幹を酒宴に招き入れた。蒋幹を逆用し、水軍に精通した蔡瑁と張允を除いて曹軍の力を削ごうというのである。

『演義』第四十五回


曹操  周瑜  蒋幹 
魯粛  蔡瑁 筍攸  辻つとむ 甘寧(松本大) (石井隆夫) (北川勝博) 

第三四回 草船で矢を借りる

1995/06/16

“周瑜は矢の手配を口実に孔明を殺そうとしたが、孔明は草船の計略を用い曹操から矢をまんまと手に入れた。一夜にして用意された10万本の矢を目のあたりにしては、さすがの周瑜も感心せざるをえなかった。そして、周瑜と孔明は曹操を破るための作戦を互いの手に記し火攻めの計を確認した。こうして、心を一にいよいよ曹操との決戦に臨むのであった。”

『演義』第四十五回〜第四十六回


諸葛亮  曹操  周瑜  魯粛  張遼  徐晃  于禁
松本大) (石井隆夫) 童子(鳥海勝美) (渋谷茂[24,27,30,34,47]) (柳沢栄治[24,27,34]) (坪井智浩) (関口英司) (加瀬康之) (鳥畑洋人) (麻生智久) (石黒久也[34,65]) (落合弘治) 
ナレーター 

第三五回 周瑜、苦肉の策

1995/06/19

“蒋幹は罠とも知らず周瑜の元から書状を盗み出したが、これを呼んだ曹操はすっかり裏切られたと思いこみ、蔡瑁と張允の首をはねてしまった。そして孔明の「草船をもって矢を借りる」の計にはまり、10万本あまりの矢を進呈する羽目になった。続けさまの失敗に曹操は大いに怒り、蔡瑁の弟蔡中・蔡和に命じて偽りの投降をさせた。”

『演義』第四十六回〜第四十七回


諸葛亮  曹操  周瑜  魯粛  黄蓋 張昭 
かん沢(津田英三) 蔡和(小室正幸) 蔡中(高木渉) 甘寧  (北川勝博) (室園丈裕) 
ナレーター 

第三六回 ほう統、連環の計を献ず

1995/06/20

 たとえ曹軍に火をかけても、軍船数隻が燃え上がるだけで他は逃げ散ってしまう。"臥龍"孔明と並び称される"鳳雛"ほう統は、船を鎖でつなぎ合わせる「連環の計」によって曹軍を壊滅させる案を献策した。再び呉の陣を訪れた蒋幹を利用し、周瑜はまたも計をしかける。

『演義』第四十六回〜第四十八回

曹操  周瑜 
ほう統  蒋幹 魯粛  徐庶 張遼  程c  蔡和 劉ふく(椎橋重) 

第三七回 曹操、詩を吟ずる

1995/06/21

“曹操の水軍は兵法も訓練も優れていたが、兵士たちは船酔いに苦しんでいた。それを見たほう統は「大小の船を組み合わせ、あるいは三十隻あるいは五十隻を数珠繋ぎにします。そして舳先と艫を鉄の環でつなぎ止め、幅の広い板を敷けば人はおろか馬を駆けさせることもできましょう」と進言した。これが「連環の計」である。”

『演義』第四十八回


曹操  周瑜  魯粛  筍攸  程c  張遼 
劉ふく(椎橋重) (北川勝博) (石井隆夫) 焦触(沢木郁也) 張南(梅津秀行) 辻つとむ) 韓当(秋元羊介) (麻生智久
ナレーター 

第三八回 孔明、風を祭る

1995/06/22

“建安十三年、西暦二〇八年、周瑜は曹操の軍勢に対し火攻めの計を行おうとしていた。しかし、季節は冬。南東の風が吹くはずもなかった。そして、周瑜は血を吐き病に倒れた。”

『演義』第四十八回〜第四十九回


劉備  諸葛亮  関羽  張飛  曹操  周瑜  魯粛  趙雲 
筍攸  程c  黄蓋  かん沢  蔡和 蔡中 甘寧  (麻生智久) (北川勝博
凌統(<高木渉>)
ナレーター 

第三九回 赤壁にて曹操大敗す

1995/06/23

“建安一三年、西暦二〇八年の冬、孫権と劉備は力を合わせて曹操と戦い、赤壁の戦いで輝かしい勝利を収めた。逃げ延びた曹操は華容道にて出くわした関羽に昔の恩義を思い起こさせ見逃してもらい、南郡へと落ち延びていった。しかし、関羽は孔明と誓紙を交わしていたことからこの後軍律による厳しい処罰を受けることになるのである。”

『演義』第四十九回〜第五十回


劉備  諸葛亮  関羽  張飛 
周瑜  趙雲  程c  黄蓋  張遼  (菅原淳一) 徐晃  張[合β]  (岡田吉弘[※現・緒方愛香][26,39]) (石井隆夫) (北川勝博) 甘寧  (落合弘治
曹操 
ナレーター 

第四十回 劉備、南郡を取る

,1996/01/29

 曹操本人は許都へ退いたが、南郡には曹操に秘策を授けられた曹仁らが留まっていた。劉備陣営は今後の基盤とすべく南郡を狙っていたが、呉もまた南郡をわがものにせんと図っていた。そこで劉備は孔明の言を容れ、呉との関係を考慮し「南郡は周瑜がとれなければ劉備がとる」との誓約を交わす。周瑜は勇んで南郡奪取に向かうのであった。

『演義』第五十回〜第五十一回


劉備  諸葛亮  関羽  張飛  曹操  周瑜  魯粛  趙雲 
孫乾  筍攸  曹仁  曹洪  医者(堀之紀) 程普  (麻生智久) (秋元羊介) 蒋欽(田中正彦) 凌統(小野英昭) (福田信昭) (北川勝博) (落合弘治

第四一回 劉備、老將を得る

,1996/01/30

“曹仁に手こずり、周瑜がなかなか奪えずにいた南郡を、孔明は趙雲に命じ横からさらった上、曹仁の割符を用い一挙に荊州・襄陽まで手中に収めた。逆上した周瑜は毒矢の傷口が破れ、血を吐いて落馬した。そして、南郡奪回を心に誓った。魯粛は、劉備との関係が悪化して曹操が得をすることを恐れ、自ら話し合いのため荊州に赴いた。”

『演義』第五十二回〜第五十三回


劉備  諸葛亮  関羽  張飛  周瑜  魯粛  趙雲 
趙範(土師孝也) はん氏,黄夫人(さとうあい) (品川徹) 黄忠  (麻生智久) (北川勝博) 鮑隆(小野英昭) (落合弘治
ナレーター 

第四二回 色仕掛け

,1996/01/31

“建安一四年、西暦二〇九年、周瑜が養生のため柴桑に戻り、孫権が合肥で苦戦している隙をついて、劉備と諸葛孔明は零陵・武陵・桂陽・長沙の四郡を手中に収めた。しかし、劉備たちがこの勝利を祝っているとき、襄陽から「劉gが病死した」という知らせが届いた。”

『演義』第五十三回〜第五十四回


劉備  諸葛亮  孫権  周瑜  趙雲 
孫乾  呉国太  喬国老宮内幸平) 魯粛  呂範牛山茂) 呉国太の侍女(湯屋敦子) 侍女(岡村美雪) (河野清人)
ナレーター 

第四三回 劉備、孫夫人をめとる

,1996/02/05

“建安一四年、西暦二〇九年、呉国太は甘露寺にて劉備と会い、婿とすることを決めた。孫権は謀り事成らずとみて、柴桑郡にいる周瑜に使者を立て、これを知らせた。”

『演義』第五十四回〜第五十五回


劉備  孫権  周瑜  呉国太  魯粛  趙雲 
喬国老 孫乾  呂範 孫夫人岡本麻弥) 張昭  辻つとむ) (石井隆夫) (麻生智久) 侍女(吉田美保) 
ナレーター 

第四四回 劉備、荊州に帰る

,1996/02/15

 結婚した劉備は周瑜の計略で酒色に溺れる日々を送り、荊州に帰ることも忘れていた。だが孔明の意を受けた趙雲の説得により、劉備は孫夫人をともなって荊州へ向かう。翌朝になって事の次第を知った孫権は、二人を捕らえるべく追手を放つ。

『演義』第五十五回


劉備  諸葛亮  関羽  張飛  孫権  周瑜  魯粛  趙雲 
孫夫人  呉国太  程普  蒋欽  (麻生智久) 黄蓋  潘璋(秋元羊介) 原田一夫 呂範 丁奉  張昭  (北川勝博) 侍従(落合弘治) 商人(小野英昭) (池澤春菜) (加藤優子) (本井英美) (小川智子) 

第四五回 周瑜、三度怒る

,1996/02/16

“建安十五年、西暦210年初め、周瑜は兵を率いて劉備と孫夫人を追ったが、諸葛孔明の伏兵に敗れた。周瑜は怒りのあまり毒矢の傷が張り裂けた。柴桑に戻った周瑜は、孫権に上書を送り荊州討伐を求めたのであった。
 建安十五年、西暦210年の春、孫権は華[音欠]を曹操に会わせるため許都へ派遣した。ちょうどそのとき曹操はぎょう郡に文武諸官を集め、銅雀台の落成祝いを盛大に行っていたのであった。”

『演義』第五十六回〜第五十七回


劉備  諸葛亮  趙雲  曹操  周瑜  魯粛 
程c  張昭  小喬  糜竺  曹洪  徐晃  夏侯淵  張[合β]  (北川勝博
使者(<幹本雄之>) 丁奉(<星野充昭>)
台詞なし:黄忠  張飛  関羽 
ナレーター 

第四六回 周瑜の死

,1996/02/19

“呉国大都督周瑜、享年三十六歳。建安十五年、西暦210年冬のことであった。
 ほう統は、魯粛の推挙によって孫権と対面した。しかし、孫権はその風貌を見て不快に思い、ほう統をとりたてようとはしなかった。”

『演義』第五十七回

劉備  諸葛亮  張飛  趙雲  ほう統  孫権  周瑜  魯粛 
孫乾  諸葛瑾  程普   張昭  (円谷文彦) 甘寧  領民(鈴木れい子) 小喬 
ナレーター 

第四七回 曹操、馬超を破る

,1996/02/20

“建安十五年、西暦210年の冬、東呉の大都督周瑜の死後、曹操は機に乗じて東呉への南征を図ったが、西涼の馬騰がその虚を突き許都を攻めることを恐れた。そこで、詔を下して馬騰を南征将軍とし孫権を討伐させると偽って馬騰を都におびき寄せ殺そうと企んだ。
 曹操は、い水を渡ることに失敗したが、幸い許[衣者]の守りあってなんとか南岸へ逃げ延びることができた。”

『演義』第五十七回〜第五十九回


曹操  馬超  韓遂 賈[言羽]  馬騰 馬岱 
馬休(渋谷茂) ほう徳(茶風林) 曹洪  許[衣者]  徐晃  辻つとむ) (麻生智久)  (岡野浩介) 落合弘治[1,28,34,39,40,41,44,47,50,51]) 伝令(小野英昭
ナレーター 

〔第三部 三国鼎立〕


第四八回 張松、地図を献ずる

,1996/02/26 “建安十六年、西暦211年、曹操が西涼の馬超を破ったことが漢中に伝わると、太守の張魯は驚いた。張魯は、曹操が漢中に攻め入ることを恐れ、それに対抗するため西川を奪いそこを足場として曹操と戦おうと考えた。この張魯の動きを知った益州の劉璋は、文武諸官を集めて対策を練った。そして、べつがの張松を許都への使者に立てることにした。表向きは、張魯への討伐を曹操に打診するためであったが、張松は秘かに自分のかねてからの願いを実行するつもりでいた。
 建安十六年、西暦211年の冬、劉備は孔明に、関羽・張飛・趙雲らとともに荊州の守りを任せ、自らは軍師ほう統と黄忠・魏えん・劉封・関平などの武将とともに五万の大軍を率いて荊州を離れ西川へと向かった。
 ”

『演義』第五十九回?〜第六十回?


第四九回 劉備、西川に入る

,1996/02/27

“建安十六年、西暦211年、益州の牧・劉璋は張魯の侵攻に備えるため劉備に救援を求めた。劉備は五万の大軍を率い、劉璋の治める西川へと向かった。劉備は軍規を厳しくし、西川の民に迷惑をかけぬよう命じたので、民の心を強く引きつけた。劉璋は劉備到着の知らせを受けると成都から城に赴き、一門として親しく劉備を出迎えようとしていた。
 孫夫人は、呉に戻って初めてこれが計略だとわかった。そして、二度と荊州へは戻れず、劉備にも再会できないまま不幸な一生を終えたのであった。”

『演義』第六十回〜第六十一回


劉備  諸葛亮  孫権  張飛  趙雲 
ほう統  呉国太  魯粛  法正  魏延(野島昭生) 孫夫人 張昭  雇雍(城山堅) 劉璋 張松(山野史人) 張任(田原アルノ) 王累,周善(稲葉実) 黄権(仲野裕) 劉封(藤原啓治) 阿斗(増田ゆき) 呉国太の侍女(松谷彼哉) (佐藤直子) (服部幸子) 
伝令(<速水奨>) 伝令(<田原アルノ>) 
ナレーター 

第五十回 [广*龍]統、落鳳坡に死す

1995/07/24,1996/02/28

“建安十七年、西暦212年、劉備は劉璋に書簡を送った。「孫権から救援を求められ、荊州へ戻らなければならない」と偽り、 10万石の兵糧と4万の兵馬を借りようとしたのである。しかし、劉璋が送ってよこしたのは、その十分の一の兵糧1万石と 老兵ばかり4千人であった。
 ほう統が死んだことにより、劉備軍の士気は著しく低下した。そのため、成都への進行を一時見送り、ふすい関へ引き返さざるを えなかった。そして劉備は、再び成都に攻め込むため関平を荊州へ派遣し、孔明に援軍を要請したのであった。”

『演義』第六十二回〜第六十三回


劉備  諸葛亮  ほう統  関羽  張飛  趙雲 
法正  馬良  張任 稲葉実 島香裕[15,26,50,81]  (小野英昭) (麻生智久) 伝令(落合弘治
ナレーター 

第五一回 張飛、一番手柄を立てる

1995/07/25,1996/02/29

 どちらが先に着けるか孔明と賭けをした張飛は、巴郡を守る厳顔に行く手を阻まれる。いくら挑発しても出てこない厳顔に対し、張飛は一計を案じる。

『演義』第六十三回〜第六十五回


劉備  諸葛亮  張飛  劉璋 法正  厳顔 
劉巴(鈴木清信) 大滝進矢[13,17,51,66,67] 田中和実 地元の者(二又一成) 兵士(糸博)  兵士(落合弘治) 兵士(小野英昭) 麻生智久

第五二回 劉備、益州を領する

1995/07/26,1996/03/01

“西涼の馬超は、父を曹操に殺され、兵馬もそのほとんどを失い、 漢中の張魯のところへ身を寄せていたところへ、かぼう関の劉備討伐を かって出た。一方、それを知った張飛は、馬超の相手をさせろと劉備の ところへ乗りこんでいった。
 建安十九年、西暦214年、劉備は成都を占領し益州の牧となり、 劉璋を南郡の公安に住まわせた後、文武諸官を厚く賞し、 蔵を開けて民を助け、国を治める条例を定め、さらに続いて41の州都を 平定した。こうして、蜀の基が築かれたのだ。”

『演義』第六十五回


劉備  諸葛亮  張飛  馬超 
孫乾  楊松(伊井篤史) 李恢(千田光男) 劉璋 董和(鈴木清信) 張魯(仲野裕) 馬岱  楊柏(小形満) (河野清人) 
ナレーター 

第五三回 刀ひとつで会に赴く

1995/07/27,1996/03/04

“建安十九年、西暦214年、劉備は自ら益州の牧となり、孔明の提案を受け入れ劉璋を荊州に送り、降参した文官・武将を厚く賞し官職を与えた。また、士卒をねぎらい穀倉を開いて領民に施した。そのため、益州は安定した。
 さらに、荊州の関羽に対しては使者を使わし黄金・蜀工の錦などを与えたのだった。
 関羽は並外れた度胸と高い見識それに超人的勇気で、荊州を取り戻そうとする東呉の画策を破った。そして、「刀ひとつで会に赴く」というせんこせんこの美談を残した。
 この話を聞いた孫権は、すべての呉の軍勢を率いて荊州を奪還しようとした。しかし、曹操が30万の軍勢を率いて攻めてきたため、やむなく荊州のことはおき、北からの曹操の攻撃に備えたのだった。”

『演義』第六十五回〜第六十六回


劉備  諸葛亮  関羽  孫権  張昭  魯粛  諸葛瑾 
かん沢  甘寧  呂蒙  (岩田安生) 関平  (村田則男) 馬良  (簗瀬哲) (岩松廉) 
ナレーター 

第五四回 合肥での戦い

1995/07/28,1996/03/05

“劉備と孫権は荊州の主権争いに決着がつかないとみて、それぞれ国内の安定に力を注いだ。それを知った曹操は、建安二十年・西暦215年、まず漢中の張魯を攻め落とし、そのまま勢いに乗じて劉備のいる西川に攻め入ろうと、大軍を率い南下していた。
 曹操は漢中から40万の大軍を率いて合肥への救援にあたったが、二度もの敗戦を味わった。怒りが収まらない曹操は、自ら本隊を指揮して軍勢を五手に分け、濡須口を攻撃することにし、「必ず孫権を生け捕りにせよ」と命令したのだった。
 曹操と孫権のこの合肥での戦いは、呉からの和睦の申し入れと、両者が国境をそれぞれ守ることで終わりを告げた。曹操は北へ引き返したが、これを最後に自らの力で再び江南に赴き東呉を降伏させることができなくなるとは夢にも思わなかった。
 許都に戻った曹操は、謀反を企んでいた伏皇后とその一族200人あまりを殺した。また、献帝に自分の娘を皇后として立て、自らは魏王の位に就いた。そして、その王位も代々引き継げるようにした。この時、曹操の権勢は頂点に達していたのである。”

『演義』第六十六回〜第六十八回


劉備  諸葛亮  関羽  曹操  孫権  張昭  魯粛 
伊籍  張遼  李典  楽進(小室正幸) 甘寧  劉曄  呂蒙  (川津泰彦) 周泰(広瀬正志) (岩田安生) (茶風林) 賈[言羽]  伝令(小野英昭) (簗瀬哲) (麻生智久) 
ナレーター 

第五五回 魏の世継ぎ争い

1995/07/31,1996/03/25

“建安二十二年、西暦217年、ついに曹丕は曹植をおさえ魏王の跡継ぎとなった。
 瓦口関は漢中を攻撃するなら必ず通らねばならぬ関所で、曹操の配下夏侯淵が守りを固めていた。一方張飛は、劉備の命令に従って巴西に兵を置き、関中を狙っていた。瓦口関は戦略的に重要な位置であった。
 曹操は張[合β]に1万5千の兵を率いさせ、張飛を倒し巴西を奪い取るようにと命じたのであった。”

『演義』第六十八回〜第七十回


劉備  諸葛亮  張飛  曹操 
丁儀(納谷六朗) 魏延  賈[言羽]  曹洪  曹丕  曹植(平井誠一) 楊修(伊藤和晃) 張[合β]  呉質(峰恵研) (麻生智久) 賈模(相沢正輝) (坂口賢一) (河野清人) 
ナレーター 

第五六回 定軍山での戦い

1995/08/01,1996/03/26

“張飛と馬超は劉備の命を受け、それぞれ巴西と下弁に陣を敷き、関中の動きをうかがっていた。一方、関中の軍勢が足りないとみた曹操は曹洪に5万の兵を与え援軍を送った。関中に着いた曹操は夏侯淵と張[合β]に指示を出し、要害の地を固めさせた。張[合β]は、張飛を殺して巴西を奪い蜀への突破口としようと目論んでいた。
 黄忠は奇策を用い、わざと三ヶ所の陣営を失い曹操側の武将韓浩と夏侯尚をおびき寄せたのだった。
 黄忠は韓浩・夏侯尚の陣営に夜襲をかけ、兵糧や馬を奪った。このため魏の軍勢は十里も後退、これにつけこんだ黄忠は一気に三つの陣営を奪い戻し、さらに天湯山まで追い討ちをかけて韓浩・夏侯尚を斬り捨て、天湯山を奪った。
 建安二十三年、西暦218年の秋、劉備は自ら10万の大軍を率いて孔明を軍師、張飛・趙雲を先鋒としてかぼう関を通り関中に向かった。”

『演義』第七十回〜第七十一回


劉備  諸葛亮  張飛  趙雲  曹操  曹洪  張[合β]  黄忠 
厳顔  法正  魏延  郭淮(原康義) 劉曄  (藤原啓治) 夏侯淵(笹岡繁蔵) (河合義雄) 陳式(堀秀行) (高橋広司[56,69]) (手塚秀彰[56,66,67]) (鈴木勝美) 兵士(真殿光昭) 兵士(岡野浩介) (梁田清之) 地元民(中博史) (森利也) (米本千珠) (増谷康紀) 
ナレーター 

第五七回 劉備、漢中を得る

1995/08/02,1996/03/27

“定軍山の戦いで、齢七十近くの老将黄忠はかつての勇猛さを失わず、見事夏侯淵を討ち取り魏の陣営を奪った。
 張[合β]は南ていへ退き、事の次第を曹操に報告した。

 北山で趙雲に敗れた曹操は、大軍を率いて漢水を奪いに出た。しかし、先鋒の徐晃は副将の王平の忠告を無視して、漢水を渡った向こうで陣営を張るという過ちをおかしてしまった。そして、黄忠と趙雲の軍勢に敗れ、そこで徐晃は仕方なく漢水の東岸に陣を敷き、西岸の劉備軍と川を隔てて向かい合った。

 孔明は、曹操を漢水の東岸から退かせた後、ただちに趙雲・黄忠の二人に命じて漢水を渡らせ、追い討ちをかけた。曹操は南ていへもどろうとしたが、既に南鄭は張飛と魏延が虚をついて占領していたのである。曹操は仕方なく、十九万の兵を率いて陽平関まで戻り、しばらく立てこもるに足る兵糧を護送してくるよう許[衣者]に命じた。
 楊修を殺した曹操は、強いて兵を出し劉備に決戦を挑んだが、果たして楊修が予言した通りの、いやそれ以上の惨敗を喫した。自身も黄忠の矢で前歯二本を失い、命を落とすところであった。さすがの曹操も楊修の言葉を思い出し、その亡骸をあらためて手厚く葬った。こうして、漢中での争いは劉備の勝ちに終わったのである。
、”

『演義』第七十一回〜第七十二回


劉備  諸葛亮  趙雲  黄忠  曹操  劉曄  張[合β]  許[衣者] 
徐晃  楊修  夏侯惇  (鈴木勝美) (麻生智久) 兵士(真殿光昭) (室園丈裕[35,57,60,64,67,69,72,78,81]) (小野英昭) 
ナレーター 

第五八回 水を放ち七軍をおぼらす

1995/08/03,1996/03/29

“建安二十四年、西暦219年の秋、劉備は孔明と文武諸官に帝位にのぼることを勧められ、最初はこれを固く退けたがやむをえずべん陽において漢中の王に即位するはこびとなった。息子の劉禅を世嗣に立て、諸葛亮孔明を軍師として国事・軍事を統括させることにし、関羽・張飛・趙雲・馬超・黄忠を五虎大将に任じた。
 一方、曹操は楊修のとった行動に怒り、楊修を斬ったあと強いて兵を出し、劉備に決戦を挑んだ。しかし、またもや諸葛亮孔明の計略にはまり、楊修が予言した以上の大敗を喫し、自身も黄忠の矢で前歯二本を失い、もう少しで命を落とすところであった。そして、今さらながら楊修を斬ったことを後悔し、洛陽に戻ったのであった。”

『演義』第七十三回〜第七十五回


劉備  孔明 関羽  曹操  孫権  司馬懿 
華陀(田村錦人) 張昭  廖化  雇雍(城山堅[5,31,49,58,62-64]) 満寵(池水通洋) 于禁(石波義人) 開平  ほう徳 呂蒙  (村田則男[5,53,58,59]) 陸遜  (山野井仁[58,73]) 
馬良(※台詞なし) 
成何(<沢木郁也>) 曹仁(<田中正彦>) 伝令(<田中正彦>)
ナレーター 

第五九回 関羽、麦城へ走る

1995/08/04,1996/04/01

“この戦いには、はん城からの曹仁の兵も加わり関羽は挟み撃ちにされた。そこで関羽は公安に逃げることにしたが、すでに公安は東呉に降っていたことを知らなかった。また先に南郡に兵糧を求めに行った使いの者もまだ戻ってきていなかった。

 関羽は残りの兵を率いて荊州に向かったが、その道中でも何度も呉の軍勢に襲われた。そこで、仕方なく麦城へ赴き西川からの援軍を待つことにした。しかし、遠く離れた西川からすぐに援軍が到着するわけがなく、また麦城も東呉の軍勢に包囲されたために、関羽は書面を書き上庸の劉封と孟達に救いを求めた。

 関羽は、百人あまりの兵を率いて北門より出、敵をなぎ倒しながら山道へ入った。そして、二十里ほど行ったところで待ち伏せしていた東呉の軍勢に遭ったが、それも振り切り逃走した。乱戦の中で、すでに趙累は命を落としていた。今や、関羽の軍勢はわずか十数人となっていた。関羽は自らを奮い立たせ、関平を後詰めに置き自らが先頭に立ち、指揮をしていた。”

『演義』第七十五回〜第七十七回


関羽  曹操  孫権  関平  呂蒙  賈[言羽]  馬良 
諸葛瑾  趙累(大竹宏) 王甫(田中康郎) 廖化  孟達(仲野裕) 村田則男[5,53,58,59] 徐晃  劉封  こうい,伝令(岩田安生) (古澤徹) 兵士(岡野浩介) 
使いの者(<仲野裕>)
ナレーター 

第六十回 曹操の死

1995/08/10,1996/04/02

“曹操は、関羽を手厚く葬った後も関羽の亡霊に悩まされ熟睡できなかった。さらに洛陽の行宮は奇怪なことが起こると言われていたため、曹操は神殿を建造することにした。

 漢の建安二十五年、西暦220年、洛陽で曹操は世を去った。享年六十六歳であった。”

『演義』第七十七回〜第七十回


曹操  劉備  諸葛亮  孫権  張飛  司馬懿  馬良  伊籍 
廖化  張昭  関興  蘇越(西川幾雄) 賈[言羽]  華[音欠]  華陀 呉押獄の妻(小宮和枝) 呉押獄(竹村拓) (大黒和宏) 曹洪  (麻生智久) 伝令(真殿光昭) (室園丈裕) 人夫(小野英昭) (松谷彼哉) (栗山微笑子) (大坂史子) (百瀬圭) (石津彩) (岡村美雪) 
ナレーター 

第六十一回 曹丕、帝位を奪う

1995/08/11,1996/04/04

“魏王曹操が世を去り、天下は激しく動揺した。そのため帝は社稷を安んじるため詔を下し、その子曹丕に父の位を継がせた。

 曹丕は曹彰の軍勢を取り上げえん陵に帰らせた。一方、臨し侯曹植としょう懐侯曹熊は弔いに駆けつけなかったので曹丕は使者を送って問い質した。曹熊は罰を恐れ首を吊った。

 漢中王の劉備は、漢の献帝がすでに殺されたことを知ると、ひどく悲しんだ。そして文武諸官を喪に服させて天子の霊を祀り、「孝愍皇帝」と号した。劉備は病に倒れ、政がみられなくなった。孔明たちは、天下に一日たりとも天子なくしてはいけないと、劉備が皇帝に登るよう勧めたが、劉備は頑なに拒んだ。そのため、孔明は病と称して屋敷に引きこもった。

 こうして、劉備は玉璽を受け自ら皇帝となり、その年を章武元年と改めた。そして、劉禅を太子に立て、諸葛孔明を丞相に、許靖を司徒に封じた。また、文武諸官の位を進めて天下に大赦を行ったので両川の民は喜びにわいた。”

『演義』第七十八回〜第八十一回



劉備  諸葛亮  趙雲  司馬懿  曹丕  曹植  華[音欠]  許[衣者] 
賈[言羽]  丁儀<字・正礼>(納谷六朗) 曹洪  (北川勝博) (亀井三郎) 曹彰(大塚芳忠) 献帝(荒川太郎) (簗正昭) 卞氏(宗形智子) 曹皇后(佐藤しのぶ) 李伏(清川元夢) (大木正司) 伝令(岡野浩介) (増谷康紀) (古沢徹) (枚やよい) (本井英美) 
曹植への魏王の使者(<清川元夢>) 祖弼(<水野龍司>) 献帝の詔を読む者(<大塚芳忠>)
ナレーター 

第六十二回 劉備、仇討ちに出兵する

1995/08/14,1996/04/08

“章武元年、劉備は諸葛孔明たちの諫言を退け、二人の義弟関羽と張飛の仇を討つため、自ら七十五万の軍勢を率いて水路と陸路から呉へ攻め込んだのであった。”

『演義』第八十一回〜第八十回



劉備  諸葛亮  張飛  孫権  諸葛瑾  曹丕  劉曄 
関興  (城山堅[5,31,49,58,62-64]) 張昭  詔を読む者(岩田安生) (川津泰彦) 范疆(中博史) 張達(塚田正昭) 趙咨(稲葉実) 孫桓(岡野浩介) (増谷康紀) (古沢徹) 
秦ふく<字・子勅>(<糸博>) 張飛配下の部将(<稲葉実>) 中博史(<伝令>) 老人(<塚田正昭>)
ナレーター 

第六十三回 劉備、陣を焼かれる

1995/08/15,1996/04/09

“怒濤のような劉備の軍勢がこうていに至ると、江南の領民はすべて恐れおののいた。そこで、呉公の孫権は張飛を殺した范疆・張達を捕らえ、張飛の首とともに劉備に差し出して和睦を求めた。

 蜀の劉備と東呉の大都督陸遜は夷陵にて対峙していたが、陸遜は守りを固めての持久戦に出た。そして春も終わり夏になり、毎日炎天が続き平原に駐屯している将兵らの飲む水さえ不足するようになってきていた。”

『演義』第八十回〜第八十四回



劉備  諸葛亮  孫権  曹丕  馬良  曹仁  張昭  周泰 
関興  黄承彦(加藤精三) 韓当(秋元羊介) (城山堅) かん沢  陸遜  (川津泰彦) (福田信昭) (北川勝博) 程へい(宮田光) 馮習(水鳥鉄夫) (古沢徹) (増谷康紀) ふとう(岡野浩介) 
ナレーター 

第六十四回 劉備、白帝城に死す

1995/08/16,1996/04/10

“蜀漢の章武三年・西暦223年4月24日、劉備は白帝城にて亡くなった。享年六十三歳であった。

 こうして孔明は、容易に五手の軍勢を退け呉と蜀は連合した。怒った曹丕は自ら水陸両軍を率いて東呉討伐に向かった。東呉からの急報を受けた孔明は、ただちに趙雲に陽平関から魏を襲わせ、魏の勢力を牽制させた。しかし、蜀の南方で反乱が起きたので、孔明は趙雲を成都に呼び戻し南征に向かうことにした。”

『演義』第八十五回〜第八十六回


劉備  諸葛亮  趙雲  司馬懿  曹丕  孫権  陸遜 
関興  (川津泰彦) 賈[言羽]  張昭  (城山堅[5,31,49,58,62-64]) 劉禅  [登β]芝(岡部政明) 張温(坂口哲夫) 辛[田比](古田信幸) (加藤優子[44,64]) (南民恵[64]) とけい(小野英昭) (室園丈裕[35,57,60,64,67,69,72,78,81]) (真殿光昭[56,57,60,64,67,69,72,78,81]) 
秦ふく<字・子勅>(<糸博>)
ナレーター 

第六十五回 孔明の南征

1995/08/17,1996/04/11

“蜀漢の建興三年・西暦225年、建寧の太守ようがいは南蛮王孟獲と手を結び10万の軍勢を起こした。そうか・越しゅん両郡の太守は彼らに城を開け渡し軍勢はさらに永昌郡にまで達した。その知らせが成都に届くと、孔明は自ら大軍を率いて南征に向かうことを決めた。

 孔明は南郡に到着すると、離間の計を用いて南郡の首領ようがい・朱褒を殺し、高定を降参させた。さらに、軍勢を率いて永昌に入り南蛮王孟獲との戦いの準備に取りかかった。”

『演義』第八十七回〜第八十八回


諸葛亮  谷口節">趙雲谷口節) 魏延  孟獲 董荼那 阿会喃 
蒋延(矢田稔) 中庸助) 劉禅  馬謖  (伊井篤史) 馬岱(土師孝也) 王平  (石井隆夫) (坂口賢一[9,65,73,76,79,82]) (石黒久也) (田村三郎) 
ナレーター 

第六十六回 孟獲の反乱

1995/08/18,1996/04/15

“孟獲はまたも孔明に赦され砦に戻ったが、心中は穏やかではなかった。そこで弟の孟優に偽りの降伏をさせ、孔明の陣に潜り込ませるという計を立てた。その命を受けた孟優は、金銀珠玉などの進物を孔明の陣に運び込み謀は成功したかにみえた。”

『演義』第八十八回〜第八十九回


諸葛亮  谷口節">趙雲  魏延  馬岱  孟獲 王平  蒋延 
孟優(大滝進矢) 祝融夫人 朶思大王(飯塚昭三) 孟節(筈見純) (麦人) (手塚秀彰[56,66,67]) 楊鋒(中田和宏) 楊鋒の息子(岡野浩介) 南蛮兵(中博史) (古澤徹) (増谷康紀) 
ナレーター 

第六十七回 孟獲、七度虜となる

1995/08/21,1996/04/16

“諸葛孔明は孟獲を五度捕らえ五度逃がした後、さんこうじょうを攻めるため銀坑山へ軍を進めた。この状況を見かねた孟獲の妻祝融夫人は、自ら銀坑山で蜀の武将たちとわたりあった。

 漢の建興三年秋九月一日、武郷侯・益州の牧・丞相諸葛亮は謹んで祭典を行い、国のために没した蜀の将兵と南の人々の魂を祀った。かつてこの激流の中では、千人を超える蜀の兵が死んでいった。この地の人々は、死者の魂を鎮めるために四九人の首を生け贄としてまつる習わしがあった。しかし、孔明はこれ以上人を殺すことを避け、麦粉をこねて中に牛や羊の肉を入れ人型の頭としこれを饅頭(まんとう)と名付けた。こうして孔明は死者の魂をまつったのである。”

『演義』第九十回〜第九十一回


諸葛亮  谷口節">趙雲  魏延  馬岱  馬謖  蒋延  孟獲 祝融夫人 
孟優 帯来洞主(麦人) (手塚秀彰[56,66,67]) 南蛮兵(鈴木清信) (佐藤正治[67,73]) (中村秀利[15,21,22,67,81]) ごつ突骨(岸野幸正) 蜀兵(真殿光昭) (室園丈裕[35,57,60,64,67,69,72,78,81]) 蜀兵(小野英昭) 
ナレーター 

第六十八回 孔明、魏に出兵する

1995/08/22,1996/04/22

“魏の曹丕が病のために崩御すると、翌年その子曹叡が即位した。曹叡はしょうようを太ふ、曹真を大将軍、曹休を大司馬、華[音欠]を太尉、王朗を司徒、陳ぐんを司空、そして司馬懿をひょう騎大将軍に封じた。さらに、この時司馬懿が西涼を守りたいと申し出たので、曹叡は司馬懿をよう州と涼州の兵馬提督に任じた。

 こうして諸葛孔明は中原討伐の兵を起こし、先鋒の趙雲は三度夏侯楙を破った。そのため夏侯楙は南安の城に立て籠もり、趙雲たちは何日も攻め立てたが落とすことができなかった。”

『演義』第九十一回〜第九十二回


諸葛亮  司馬懿  谷口節">趙雲  魏延  劉禅  曹叡 馬謖  華[音欠] 
開興 松本大 川津泰彦 曹休(古田信幸) [登β]芝 (簗正昭) 曹真  檀臣幸  夏侯楙 崔諒(仁内建之) (伊井篤史) 中庸助) 韓徳(青森伸) (増谷康紀) (古澤徹) (岡野浩介) 斐緒(峰恵研) 
程武(<神谷和夫>)
ナレーター 

第六十九回 姜維、孔明に降る

1995/08/23,1996/04/23

“こうして孔明は新たに姜維を仲間に加えた。姜維の献じた離間の策によって天水と上[圭β]が落城すると、近くの州や郡は戦わずして降った。孔明は[示β]山に兵を進め、その一部は渭水に至り、さらに長安をうかがった。”

『演義』第九十二回〜第九十三回


諸葛亮  谷口節">趙雲  魏延  郭淮 姜維(大滝寛) 夏侯楙 
開興 (川津泰彦) [登β]芝 簗正昭 馬じゅん(田村勝彦) 姜維の母(京田尚子) 曹真 崔諒 斐緒 (鈴木勝美) 楊陵(高宮俊介) (高橋広司[56,69]) (小野英昭) (室園丈裕[35,57,60,64,67,69,72,78,81]) 伝令(真殿光昭) 
"晋陽の住民"(糸博
ナレーター 

第七十回 司馬一族、再び立つ

1995/08/24,1996/04/24

“孔明に激しく罵られた王朗は、怒りのあまり息絶えた。曹真は、王朗の葬儀に乗じて蜀の軍勢が攻め込んでくると信じ、郭淮の献策を受け入れ軍勢を二つに分け蜀の陣営に奇襲をかけた。ところが、魏の軍勢は逆に蜀の伏兵に遭い、あわてて逃げ出したため暗闇の中で大混乱に陥り、同士討ちをしたうえ大敗したのである。
 司馬懿は、孟達を倒したのち蜀の軍勢を迎え撃つため張[合β]を先鋒として大軍を率い出陣した。

『演義』第九十三回〜第九十五回


諸葛亮  司馬懿  魏延  馬謖  曹真 郭淮 
張[合β]  華[音欠]  (沢りつお) 曹叡 孟達(田中正彦) 申儀(伊藤和晃) 王平  司馬師  司馬昭  李豊(後藤敦) 多田野曜平 上間幸徳 
曹叡の近臣(<野島昭生>) 申儀の使者(<糸博>) 孟達の部下(<牛山茂>) 
ナレーター 

第七十一回 泣いて馬謖を斬る

1995/08/25,1996/04/26

“馬謖は「自分がしくじるようなことがあれば家族が殺されても構わないからぜひ街亭を守りに行かせてくれ」と孔明に願い出た。ついに孔明もその熱意に打たれ、司馬懿の大軍を防ぐため馬良の弟馬謖を主将、王平を副将とし、二万の兵を与えて街亭を守りに赴かせた。

 こうして孔明は、軍律をただすため馬謖の首をはねた。そして、己の位を下げるようにと上奏したので後主劉禅はこれを受け入れて孔明を右将軍とした。しかし、引き続き丞相の職務にあたらせ軍勢の総指揮を任せたので、孔明は再び北伐に出られる時が来るのを待った。”

『演義』第九十五回〜第九十七回


諸葛亮  馬謖  王平  楊儀 司馬懿  司馬昭  司馬師  張[合β] 
大滝寛">姜維  蒋延  費い  (谷口節) 関興  馬岱  (川津泰彦) 張ぎょく(鈴木勝美) (増谷康紀) (古澤徹) 伝令(岡野浩介) 
ナレーター 

第七十二回 司馬懿、大都督に登る

1995/08/28,1996/04/29

“陳倉の北にあるのが街亭。蜀の軍勢が北に攻め上がるには、どうしてもここ陳倉を落とさねばならない。

 魏の大都督である曹真だったが、陳倉の城を守る王双が魏延に斬られたと聞き、悲しみのあまり病の床に伏し洛陽に戻って養生することになった。”

『演義』第九十七回〜第九十九回


諸葛亮  司馬懿  郭淮 曹叡 曹真 関興 
馬岱  大滝寛">姜維  魏延  劉禅  趙雲(※回想) (中庸助) 楊儀 費よう(村松康雄) (沢木郁也) 王平  張[合β]  (川津泰彦) 伝令(真殿光昭) (室園丈裕[35,57,60,64,67,69,72,78,81]) (小野英昭) 
物見の者(<新田三士郎>) 
ナレーター 

第七十三回 き山での智の攻防

1995/08/29,1996/04/30

“蜀漢の建興七年・西暦229年の夏、孔明は病のため軍を率いて漢中へと戻り、魏討伐は中止となった。
 一年後、魏の曹真は病が癒え、魏の帝曹叡に蜀の討伐を願い出たので、曹叡は曹真を大都督、司馬懿を副都督とし、四十万の兵を率いさせ漢中に向かわせた。この時には、孔明の病もかなり治っており、孔明は再び魏を撃退するためき山に赴いた。”

『演義』第九十九回〜第百回


諸葛亮  司馬懿  魏延  費い  曹真 大滝寛">姜維 
関興  張[合β]  [登β]芝 廖化  (佐藤正治) 張ぎょく(鈴木清信) 司馬昭  司馬師  王平  陳式(辻親八) 物見の者(坂口賢一) (山野井仁) 
ナレーター 

第七十四回 孔明、神を装う

1995/08/30,1996/05/01

“孔明が書面をもって曹真の無学と策のなさを嘲笑い、「こうも敗戦が続いては再び丞相府の庁堂にも入れまい」と愚弄したので、それを読んだ曹真は無念の思いに胸塞がり、その夜陣中にて息を引き取った。

 蜀の建興九年・西暦231年、孔明は再び魏討伐の軍を起こし、はかりごとをもってろう西の麦を刈り入れ、また魏の軍勢を大破した。だが、ろじょうで将兵をねぎらっているところへ、呉が攻めてくるとの急報が届き、孔明は兵を退いた。これを聞いた司馬懿は、張[合β]を先鋒とする軍を送り追い討ちをかけたが、張[合β]は木門道にて蜀の矢に当たり死んだ。”

『演義』第百回〜第百二回


諸葛亮  司馬懿  郭淮 劉禅  大滝寛">姜維  楊儀 費い  曹真 
矢田稔 (松岡文雄) 陳式 張[合β]  李豊(後藤敦) 苟安(古田信幸) (和田啓) (古澤徹) (増谷康紀) (岡野浩介) (国富希[74,78,79]) 
ろ城太守(<糸博>) とう允(<古田信幸>)
ナレーター 

第七十五回 六度き山に出兵す

1995/08/31,1996/05/02


諸葛亮  司馬懿  曹叡 魏延  大滝寛">姜維  馬岱  王平  郭淮 
梶哲也 中庸助 檀臣幸 落合弘治 島香裕 鈴木清信 沢木郁也 
佐藤正治 鈴木勝美 室園丈裕 小野英昭 
ナレーター 

第七十六回 姜維、兵法を授かる

1995/09/04,1996/05/07

“司馬懿がひたすら守りを固めていっこうに戦おうとしないので、孔明は味方の陣を分散し持久戦に備える構えを見せた。その一方で、馬岱の軍勢を上方谷に伏兵させ、仮の小屋を建て薪や芝など燃えやすい物を仕掛けて司馬懿を待つよう命じた。

 呉の軍勢が撤退し、蜀と呉によって魏を挟み撃ちにする作戦は失敗に終わった。また、司馬懿は相変わらず守りを固めて戦おうとしないので、戦局は膠着状態になった。孔明は日頃の過労がたたりとうとう病の床に伏してしまった。”

『演義』第百三回


諸葛亮  司馬懿  魏延  郭淮 費い 
楊儀 (松岡文雄) 劉禅  大滝寛">姜維  王平  司馬師  司馬昭  曹叡 魏将(郷里大輔) 辛[田比](古田信幸) 孔明の使者(石波義人) 蜀兵(坂口賢一) 
とう允(<古田信幸>) 医師(<松本大>)
ナレーター 

第七十七回 死せる孔明、生ける仲達を走らす

1995/09/05,1996/05/08

“建興十二年・西暦234年秋、孔明は五丈原にて世を去った。齢五十四歳であった。
 孔明は死後その遺言にもとづき定軍山に葬られ、墓は建てられず供え物も捧げられなかった。かくして、後主の劉禅は忠武侯と諡し、べん陽に廟を建てて四時の祭祀をおこなうよう命じたのであった。”

『演義』第百三回〜第百五回


諸葛亮  司馬懿  大滝寛">姜維  魏延  楊儀 馬岱 
劉禅  王平  費い   夏侯覇(郷里大輔) 李福<字・孫徳>(森田順平) 司馬師  (岡野浩介) (増谷康紀) 
ナレーター 

〔第五部 三分一つに帰す〕


第七十八回 司馬懿、病と偽る

1995/09/06,1996/05/09

“魏の景初三年・西暦239年、重い病にかかった曹叡は劉放と孫資の進言を容れ、曹爽を大将軍として朝政を取り仕切らせた。そして臨終の際に急いで勅使を使わして司馬懿を帰朝させ、後事を託したのだった。

 魏の嘉平三年・西暦251年、司馬懿はこの世を去った。そして、その子司馬師は大将軍に封じられ、国の機密をあずかるありとあらゆる尚書の事務を総領した。また、司馬昭は[馬票]騎大将軍となり、この時から魏の朝政はすべて司馬一族の手に握られた。”

『演義』第百六回〜第百八回


司馬懿  司馬師田中正彦)  司馬昭(大林隆之介) 曹芳 曹爽 桓範 陳秦 李勝 
曹叡 曹爽の弟(増岡弘) (真実一路) 張当(竹村拓) 司蕃(岩田安生) 蒋済<字・子通>(宝亀克寿) (山下啓介) [伊-イ]大目(塩屋浩三) (川本克彦) (入江崇史) (室園丈裕[35,57,60,64,67,69,72,78,81]) 伝令(真殿光昭) (小野英昭) (国富希[74,78,79]) (田辺佳子[78,79]) 
ナレーター 

第七十九回 呉の内乱

1995/09/08

“呉の太元二年・西暦252年、呉の皇帝孫権が病死した。在位二十四年、享年七十一歳であった。たいふの諸葛恪は遺命にもとづき当時十歳の太子孫亮を帝に立て、建興元年と改めた。この知らせは魏にも伝わった。

 呉の太傅諸葛恪は驕り高ぶり、丁奉の涙ながらの諫めも無視して独断で事を運んだので、新城の一戦は呉の惨敗に終わった。これを恥じた諸葛恪は非難を怖れ、その責任を配下の者に押しつけ、罪の軽い者は流刑に、重い者は打ち首にした。そして、近衛軍を統率していた孫峻に代わり、自分の腹心の者を据えた。

 諸葛恪が殺されて間もなく孫峻が病死し、そのあと従姉妹の孫[糸林]が政権を握った。そして呉の太平三年・西暦258年、孫[糸林]は呉主孫亮を廃して孫権の第六子孫休を帝に立て、その年を永安元年と改め自分は丞相の位に就いた。こうして、孫[糸林]一門の五侯の権勢は頂点に至った。

 孫権の死後、呉の朝廷には幾たびも変事が起き、国が揺れたが、幸い老臣丁奉の補佐があり安定を保つことができた。
 一方、蜀漢の延熙一六年・西暦253年、蜀の大将姜維は諸葛孔明の意志を受け継ぎ、漢室再興のため元魏の武将夏侯覇の先導のもとに二十万の大軍を率いて中原討伐に向かった。

 蜀漢の建興十二年・西暦234年孔明が死に、先帝劉備からの願いであった魏討伐・漢室再興の意志は姜維へと受け継がれた。姜維は孔明から授かった二十四編から成る書をもとに、さまざまな策を用いて魏の軍を攻めたてる。今回また、中原討伐に出発し司馬昭率いる魏軍を追いつめた。果たして姜維は一気に攻め立て勝利を勝ち取り、漢室再興を実現することができるのだろうか…?”

『演義』第百八回〜第百十三回


丁奉 姜維  司馬師  司馬昭 
夏侯覇 諸葛恪(佐古正人) 孫[糸林](麦人) 胡遵(稲葉実) 桓嘉(安西正弘) 小室正幸[35,36,38,54,79] 孫峻(藤本譲) 張布(辻村真人) 施朔(塚田正昭) 孫拠(喜多川拓郎) 蒋延(掛川裕彦) 張約(荒川太郎) 魏ばく(茶風林) 曹芳 徐質(相沢正輝) (石井隆夫) (坂口賢一) (石井英明) (大坂史子[60,79,82]) (田村真紀) (国富希[74,78,79]) (田辺佳子[78,79]) 
弁舌の士(<糸博>) 
ナレーター 

第八十回 姜維、中原征伐に出る

1995/09/25

“蜀漢の延熙一六年・西暦253年の秋、蜀の大将軍姜維は元魏の武将夏侯覇の先導で二十万の大軍を率いて中原討伐に向かった。これを聞いた魏は、徐質を先鋒・司馬昭を大都督とし[β龍]西へ出て蜀の軍を迎え撃ったが、姜維の計に敗れ徐質も殺された。司